24時間Web予約
お電話

学びの記録 経験だけでは届かない場所がある 22年目の今も、学びに向かい続ける理由

2026年4月10日by aobadai-leaf

高校を卒業してこの業界に入り、22年が経ちました。

それなりに長くこの仕事を続けてきましたが、年数を重ねたからといって、身体のことが簡単にわかるようになるわけではありませんでした。

 

むしろ続ければ続けるほど、人の身体の奥深さや繊細さを感じるようになりました。

昔は、経験を積めばだんだん迷わなくなるのだろうと思っていました。

けれど実際には、経験を重ねることで見えてくるものがある一方で、経験だけでは届かない場所がある。

私はこの仕事を続ける中で、そのことを何度も感じてきました。

だから今も、学び続けています。

昨年も、多くの時間を学びに使いました

昨年参加したセミナーを振り返ると、現地開催のセミナーは48日、時間にすると288時間でした。

さらにオンラインセミナーが46時間ありました。

数字にするとかなりの時間ですが、自分の中では特別なことをしているという感覚ではありません。

よりよい施術のために必要だと思うことを積み重ねていたら、自然とこうなっていた、という感覚に近いです。

 

もちろん、ただ知識を増やしたいから学んでいるわけではありません。

目の前の患者さんの身体を、今よりもう少し丁寧にみられるようになりたい。

不調が出ている部分だけでなく、その背景にある身体全体のつながりまで含めて理解したい。

 

そう思うから、時間をつくって学びの場に足を運んでいます。

学びに行くたびに、自分がわかっていたつもりのことが、まだ表面的だったと気づくことがあります。

 

反対に、以前はよく理解できなかった内容が、今の自分にはすっと入ってくることもあります。

学ぶというのは、ただ新しい知識を増やすことだけではなく、これまでの経験を深めていくことでもあるのだと思います。

 


参加したセミナーでの記念撮影です。こうした学びの積み重ねが、日々の臨床の土台になっています。

 


学ぶには、時間もお金もかかります

あまりお金の話を大きくしたいわけではありませんが、学び続けるということには、現実的にそれなりの負担もあります。

特に海外講師のセミナーは、どうしても参加費が高くなりやすいです。

講師への報酬だけでなく、航空券や宿泊費、通訳の方の費用など、さまざまな経費がかかるからです。

ここ数年は円安の影響もあり、海外講師のセミナーでは1日あたり5万円前後がひとつの目安になってきています。

少人数制で、より密度の高い内容のセミナーになると、1日10万円ほどになることもあります。

さらに、関東以外で開催される場合は、交通費や宿泊費も必要になります。

決して気軽に参加できる金額ではありません。

正直に言えば、小さな負担ではないです。

それでも私は、本物のオステオパシーを学ぶためには、このくらいの時間や費用をかけることは必要だと思っています。

オステオパシーは、もともと海外で育まれてきたものです。

だからこそ、最新の情報だけでなく、伝統的な考え方や背景も含めて深く学ぶには、その分野を本当に理解している人から直接学ぶことが大切だと感じています。

本や動画から学べることも、もちろんあります。

けれど実際のセミナーでは、それだけでは伝わりにくい細かな感覚や、身体の見方、触れ方の深さに触れられることがあります。

手の置き方のわずかな違い。

力を入れることより、力を抜くことの難しさ。

待つことの意味。

相手の身体をどう受け取るかという感覚。

そうしたものは、やはりその場で学ぶからこそ得られる部分が大きいと感じています。

 

学びを深めるほど、身体は単純ではないと感じます

この仕事を始めたばかりの頃は、覚えることがたくさんありました。

解剖学、生理学、触診、手技、評価。

まずは知識を増やし、技術を身につけて、目の前の方に対応できるようになることに必死でした。

けれど長く臨床を続けるほど、身体はそんなに単純なものではないと感じるようになりました。

痛みが出ている場所だけに原因があるとは限りません。

つらさが出ているところ以外の負担や、これまでの身体の使い方、生活の積み重ねが影響していることもあります。

一か所だけを見てもわからないことが、全体のつながりとして見ることで見えてくることがあります。

身体は、部分ごとに切り分けて考えるだけでは見えてこない面があります。

それぞれが関わり合いながら、全体としてバランスを取っているからです。

だからこそ、学ぶほどに「簡単にわかった気になってはいけない」と感じます。

そしてその感覚は、臨床においてとても大切なものだと思っています。

自分の知識や経験を使いながらも、決めつけすぎず、目の前の身体から教わる。

そのために、私は学び続けているのだと思います。

 


 

学びの場では、知識だけでなく、身体に向き合う姿勢そのものを教わることがあります。記念写真は、その積み重ねの記録でもあります。

 


学びは、日々の臨床につながっています

学びを重ねることで何が変わるのか。

そう聞かれたら、私は、身体の状態を以前よりも丁寧に読み取れるようになることだと思っています。

新しい技術がひとつ増えることももちろんあります。

 

けれど、それ以上に大きいのは、身体の見え方そのものが変わってくることです。

同じ肩こりでも、同じ腰痛でも、同じめまいでも、その背景は一人ひとり違います。

 

表に出ている症状だけを見るのではなく、その方の身体がどんな流れの中で今の状態になっているのか。

どこに無理がかかっているのか。

どこが頑張りすぎているのか。

そうしたことを、以前よりも丁寧に見られるようになってきた気がします。

 

もちろん、まだまだです。

22年やっていても、毎日のように学ばされることがあります。

それでも、学びを続けてきたからこそ、以前なら見落としていたかもしれない小さなサインに気づけるようになったこと。

以前なら届かなかったかもしれない変化に、少しずつ近づけるようになったこと。

それは確かにあるように思います。

 

患者さんの身体は、本当に繊細です。

だからこそ、こちらも雑にはなれません。

学びを深めることは、そのまま、より丁寧な施術につながっていく。

私はそう実感しています。

 

マーケティングではなく、まず学びに時間とお金を使ってきました

同業の先生方を見ていると、集客やマーケティングについて熱心に学ばれている方も多いです。

それはとても大切なことだと思いますし、否定するつもりはまったくありません。

ただ、じつは私は、そういったマーケティング系のセミナーには一度も出たことがありません。笑

 

たぶん、経営的に見れば不器用なやり方なのだと思います。

もう少し上手なやり方も、きっとあるのでしょう。

それでも私は、まず治療そのものを深めたいと思ってここまできました。

 

人に来ていただく方法を学ぶより先に、来てくださった方を、もっとしっかりみられる自分でありたい。

その気持ちのほうが、ずっと強かったのです。

発信も大事です。

伝える努力も必要です。

でも、その土台にあるものが薄ければ、長くは続かない。

私はそう思っています。

だからこれからも、派手さよりも、まず中身を深めること。

目立つことよりも、臨床を磨くこと。

そこを大切にしていきたいです。

 

学び続けるのは、不安だからではなく、敬意があるから

長くこの仕事をしていても、身体のことを全部わかったとは、とても言えません。

むしろ真剣に向き合えば向き合うほど、人の身体は本当にすごいものだと感じます。

 

複雑で、繊細で、よくできていて、そして一人ひとり違う。

その前では、こちらが簡単に「もう十分わかっています」と言えるようなものではありません。

 

学び続けるのは、自信がないからだけではないと思っています。

身体に対する敬意があるからこそ、もっと知りたい、もっと理解したいと思うのです。

22年経った今でも、学びたいことは尽きません。

これから先もきっと、学び終わることはないのだと思います。

 

でも、それでいいのだと思っています。

ひとつずつ積み重ねながら、昨日より少しでも深くみられるようになること。

 

そして、その積み重ねを、目の前の患者さんに少しでも還元していくこと。

それが、この仕事を続ける上での自分なりの誠実さなのだと思います。

 

経験だけでは届かない場所がある。

だから私は、これからも学び続けます。